取材記事

【ナイトインアウスレーゼ】「ママがいるからまた来たい」。スナックというみんなの居場所。

「ナイトインアウスレーゼ」ママの柾屋みち子さん

今回インタビューさせていただいたのは、会津若松市の栄町でバー・スナックを営む柾屋みち子ママ。

取材の前日、ひょんなことからスナックを訪れ、楽しい時を過ごしていた筆者は、あまりの居心地の良さに「突然なんだけどママ、明日取材させてくれませんか?」と急なお願いをしたところ、「私なんかでいいのかしら」と戸惑いながらも二つ返事で快諾、当日もランチの予定がある中、昼間のお店を開けてくださり、綺麗な出立ちで気持ちよく迎え入れてくれました。

そんなやわらかく、人柄の良さを感じさせてくれるみち子ママ。ともに働く仲間やお客さまを惹きつけ続けて34年。カウンター越しにグラスを片手にママとふたり。ちょっぴり贅沢な空間で、その不思議な魅力についてお聞きしました。

右も左もわからなかった。

お店の入り口にやって来ると、なんだかワクワクしてしまう。

---こちらのスナックをオープンしたきっかけを教えてください。

平成元年ですね。2月の1日がオープンでした。

新潟から嫁いできて、飲食店のお手伝いなどもしていて。私の場合はなんか降って湧いたように、ちょうどここが空いた時に「おめがやんだ(お前がやったらいいだろう)」みたいな感じで言われて。コーヒーを出したことはあっても、アルコールというのは全然分からなかったし、怖くてひとりでスナックに行ったこともなかったんですよ。

どうしたもんかなと思って、占ってももらいました。「私、大丈夫でしょうか」なんてね。そしたら占い師さんが私のことじーっと見てね、一言、「あなたがやれば大丈夫」なんて。当たるも八卦の部分ですよ。だけどなんかね、もうどうしていいか分かんない時にそんなこと言われるとね。そっか、やる、やる、やるんだなってね。

それでも、やってみて感じたのは、何も知らなくても受け入れてもらえるということ。何にも知らないっていうのはね、ある意味強いんですね。

当時はバブルの余韻がまだ残ってたから、ありがたいことにも忙しかったんですけど、自分ができないと思っても、いい仲間が集まってくれるもんでね。コロナの前は6人体制くらいで。もう34年。ぼーっとしてる間に来てしまったんです(笑)。

「入門編」としてのスナック。

店内の風景。さまざまな世代のお客さまに愛されて34年。たくさんの人の思い出がここで生まれた。

---どんなお客さまがよく来られるのですか?

お酒を飲めるようになった若い方から80代の方まで、さまざまいらっしゃいますね。

例えばお父さんお母さんが、うちの子もスナックデビューさせようかと、お子さんと一緒にいらしてね、そしてその子たちが、スナックってこんな感じなんだって覚えて、それから旅立っていくわけですよ。

---若い方にとっては、まさにお酒だったり、社会を学ぶ「入り口」のようなお店。

「入門編」がここだったんですね。

そうして若い子たちが重宝して来るようになって、女の子のスタッフもいるので30代、40代の方たちもいらして。私がその上の世代だから、50代以降の方たちも。そうして「ナイトアウスレーゼ PART Ⅱ」も開店して、うまいこと世代やお客さまのニーズごとに住み分けができるようになっています。

楽しい時間を過ごしてほしい。

やさしい表情でさまざまなエピソードを朗らかにお話してくださるみち子ママ。

---34年も続くというのがすごいですね。

34年やっていても、まだ慣れないんです。

お話してるとその方にまっすぐ向き合っちゃう性格なので(笑)、周りを見渡すのを忘れちゃって。いまだにそれが抜けなくてね。何か、慣れないんですね。困っちゃいます。最初の頃なんか、「パートのみっちゃん」って呼ばれてたんです。

---パートのみっちゃん?

お客様とお話するのが緊張しちゃって。カウンターの中でウロウロウロウロしてるんですよ、最初みんないっぱいいたからね。「はい、ちゃんとここから出る!」なんて感じで背中を押されてね。「こっから出なきゃ仕事になんないんだから。ここにいたんじゃみなさんの良さが分からないよ」って。そんなこともあって「パートのみっちゃん」って呼ばれていたんです。

---ご接客で意識されていることはありますか?

そんな経験もあって、お店の子には「第一印象で緊張してしまう方ほど行ってお話してごらん」って伝えるようにしています。「必ず得るものがあるからね」ってね。そうして自分の中でクリアできたと思うと、何か自分がすごくうれしいよね。この次お見えになった時は、もっとテンションも上がるし、話題もふくらみますし。

どんな方でも私は思うけどね、みんな何らかの形でお話がしたくて見えると思うの。普段静かな方も、お酒飲まれるとちょっと饒舌になって楽しくなるじゃない。歌わない方はお話が好きだし、楽しくお話できるようにって、やっぱり心がけるようになりましたね。わざわざだってこんな2階まで足を運んでくださって、ましてやお金までいただいてるからね。つまらないで帰られたんではって思うんです。

お店の子たちには、そんなに無理な営業はしなくたっていいから、その代わりに見えたお客さまが「また来てみよう」って気持ちになるように、そういう接客だけはしてほしいってことは言ってますね。

---ママさんの人柄が伝わってきます。

泣き虫だからすぐ泣いちゃう…。

---人に対する愛がすごく深いなと思います。人間関係についてもたくさん考えてらっしゃるんだろうなと。

帰ってくる場所。

ママの人の良さが、みんなにとっての居場所をつくる。

いろんなお店さんが内装も綺麗になってきていて、うちのスナックに帰ってくると、何か雑然としてるしなと思ったんだけど、ある時ね、転勤組の方が5年とか10年空いてまた見えると、あたりをキョロキョロ見回して、「ママ、変わらないね」って。「もう古くなったから何とかしなきゃと思うんだけど、ごめんね」って言うと、「いや、これだから俺たちがここに来たって実感が出るんだよ」って言われて。「これ綺麗にしてみ、俺たちアウスレーゼじゃないどこに来たんだろうってなるよ」なんて。

---そのままのママ、そのままのお店だからこそ、みんなにとっての「帰ってくる場所」であり続けるんでしょうね。

ママをやっていた子がふたり、それぞれ結婚して子育て終わってね、そういう子が戻って来てくれたり、ボーイを辞めてから11年経った子も、「ママ、もうそろそろここに戻って来てもいいでしょ?」って言ってくれたり。とにかくありがたいことに、お客さまにも、従業員にも恵まれましたね。

つながりのキープボトル。

キープボトルはつながりの分だけ、棚いっぱいに埋め尽くされている。

---それでもコロナ禍で働く人も減ってきてしまっているとお聞きしました。

そうなんです。ボーイの子たちも、「何とか俺たちでここ支えて頑張ろうな」と言ってくれていて。私もいずれ引退する時が来るかもしれないから、3年くらいかけて次を担ってくれるママを育てていけるように、まずは気軽にママを体験してくれる子を増やしたくてね。たとえば30日間、毎日日替わりママが立つような『ママ30人プロジェクト』というのも一つのアイデアとして面白いなと思いますね。毎日知らない人が立っていても、お客さまが戸惑わないように、そこのところはうまく橋渡しができたらいいですね。

---キープボトルの数、たくさんありますね。

キープボトルの数は300はくだらないでしょうね。

普通のところはキープできるボトルの数もカウンター後ろの棚までですよね。だからもうここに置けなくなったら「ごめんなさい、切らしてもらいますね」なんてなるよね。例えば半年ぐらいでね。でもうちの場合とても長いんですよ、置くところがいっぱいあるから(笑)。流せないでしょう、大切なお客さまなんだもん。

それでもキープボトルも少しずつ期限が来るのもあるからね、コロナでこの3年間ってのはあんまり動いてないから、このプロジェクトを通してどなたかママをやってくださればうれしいと思います。

---キープボトルはつながりの数でもありますね。

お別れの部分もあるけど、でもまた新しい人に来てもらうことで、新しい出会いがね。そこはすごく楽しみだなと思いますね。

ABOUT ME
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清水 哲
1989年生まれ、埼玉県出身。 クリエイティブプランナー兼コピーライター。 地域プロモーションを手がける「クリエイティブ・ギルド まにまに」を結成。福島県会津地方など地域のクリエイティブ活動もおこなう。