日蓮宗法紹山浄光寺 副住職 大島英翠さん

こんにちは!あいづっぺでぃあ取材班のはるかです!
今回取材させていただいのは、会津若松市宝町にある、日蓮宗法紹山浄光寺の副住職である大島英翠(おおしまえいすい)さんです。

浄光寺の歴史や、副住職としての思い、今後地域へどう関わっていくかどうかなど様々なお話を聞かせていただきました。
予想外な内容が多く、記事も読みごたえのある内容になっていると思います。ぜひ最後まで目を通していってくださいね!

浄光寺の歴史

まず最初に、浄光寺の存在を初めて知った人もいるかと思うので浄光寺の歴史を少し説明させていただきます。ここでは歴史が苦手な方でもわかりやすいように簡略的な内容にしていますので安心してください!(投稿主も歴史は得意ではありません💧)
もっと詳しい浄光寺の歴史が知りたい方は是非HPをチェックしてみてください。
浄光寺のHP→[ https://jo-ko-ji.com/ ]

浄光寺は、会津松平藩初代藩主・保科正之公の御生母である浄光院殿法紹日慧大姉(徳川2代将軍秀忠公側室・お志津の方)の菩提寺です。
正室の妻・お江与の方が嫉妬深い人で母子ともに命に危険に晒されていたため、お志津の方は密かに実家の神尾家に身を寄せ、やがてその男児は将軍の計らいもあって高遠藩三万石の藩主・保科正光の養子となり保科正之と名乗ることになります。
寛永12年(1635年)9月17日、お志津の方は高遠城内にて52歳の生涯を閉じました。そして亡き母のために建てたお寺が浄光寺になります。
まさにお母様のために建てられたお寺、となっています。


浄光寺があるこの宝町は過去戊辰戦争において激しい戦場となり、全て燃えてしまいました。浄光寺は保科正之公から代々お母様をご供養してきたお寺でもあり、そのときの住職が敵に会津藩の大切なものが奪われるよりかはという気持ちで自ら浄光寺に火をつけてしまいます。

ほとんど全て燃えてしまいましたが、唯一焼け残ったものがありそれが当時の釈迦堂である鬼子母神堂です。現在では市の重要文化財にも登録されており旧会津若松市内に残る木造建築物としては最古であるとされています。

鬼子母神堂(旧「釈迦堂」)

浄光寺の説明はここまでにさせていただきます。亡きお母様のために建てれられたお寺の住職・副住職の方が現在は女性ということで、そこに何かしらのご縁があるのではと感じてしまいました。

副住職としての思い

次はそんな副住職の大島英翠さんがどうして副住職になったのか、そして副住職としての思いを語っていただきました。
とても興味深いお話で取材をしながら私自身わくわくしていました(笑)

現在は浄光寺の副住職を勤めている大島さんですが、浄光寺は母の実家ではありましたが最初は継ぐ予定は全くありませんでした。まずこの事実に私は驚きました。
ずっと他県で家族と過ごしており一般企業に勤めていらっしゃいましたが、当初継ぐ予定であった叔父が継げなくなったため母に帰ってきてほしいとお願いされて会津若松に戻ることになりました。
そしてお坊さんになるために、35日間の修行に出て、現在この浄光寺の副住職にお勤めされています。

このときすぐわたしの中で「どうしてそんなにすぐにお坊さんになる決意ができたのか?」という疑問が湧きました。

大島さんはそれに対して、一般の方とお坊さんの考え方としてなかなか思いつかないものかもしれませんが、そのお寺を守る存在となる住職はご本尊さまがお選びになられる、という考え方があるためご本尊さまからの「僧侶になりなさい」という大いなる意志を感じたのと、同時に寺の後を守っていく存在になりえる人が自分しかいない状況でもあったため、「自分がやるべきことなんだ」と自然と思えたから、と聞かせてくれました。

現在住職を勤めている大島さんのお母様も元々は浄光寺を継ぐ予定ではなかったそうで、それでも現在こうして浄光寺を守っていく存在になられているというのが意外でした。お話の中で大島さん自身寺の娘ではありながらお寺での生活は戻る以前は小学6年生から高校時代まででそのためお寺に対しての信仰心も最初はそこまで高くなかったと仰っていた、という背景があるのもよりこの「ご本尊さまが寺を守る存在をお選びになられる」ことのお寺としての意味の深さをより感じさせてくれました。

それでも少なからずお坊さんになるにあたって懸念点もあったそうで、それが修行に出るために髪の毛を全て剃ることです。
たしかにわたしも女性なので、女性が髪を大事に扱っている気持ちもとてもわかります。それでも大島さんは一度決意ができてしまえばなんてことはなかったそうで、そこにもまた大島さんの女性としての強さや決断力を感じました。
まだ社会にも出たこともない私には髪を剃るという決断はできないとはっきり言えるぐらい、その決断は大きなものだったと思います。

また35日間の修行ですが、やはり修行と言われると過酷で厳しい…というイメージを持ちがちですが大島さんの話から聞いた内容はこれもまたイメージとは少し違ったものでした。

お経を読む練習や様々はカリキュラムをこなし一息つく暇もありませんがそれでも修行を「楽しい」と感じていたそうです。
修行に出る前は子育てに忙しく勉強する時間もなかったそうですが、修行に出てからはその勉強をする時間がちゃんとありとても嬉しかったそうです。

自分のために時間を使えることは幸せだ、と気づけたそうで、このお話は大学生であるわたしにはとても胸に刺さりました。
そして子育てに奮闘中の世の中のご夫婦にも、些細なことかもしれませんがこの幸せを知っていただけたらいいなと感じました。
修行後一番最初の感じたことは「嬉しさ」で、これからはお坊さんだからできることとして人のためにお経を読んで、人の役により立てるようになることが嬉しかったと仰っていました。

修行は辛いだけではなく、普段の生活では気づけない些細な幸せにも気づくことができるものでもあると知ることができました。

若者へ伝えたいこと

最後に大島さんに「若者」にお坊さんとして伝えたいことと浄光寺がこれからどう若者と関わっていきたいかということをお聞きしました。

若者に伝えたいこととして「手を合わせる気持ちを伝えたい」ということで少しでもそういった気持ちを持ったり機会に触れてほしいと仰っていました。

感謝の気持ちだったり、日常でも仏教とか深いことを考えなくてもご先祖様に手を合わせることはとても尊いことで、その人を支えてくれることであり、若い人にもそれを知ってほしいそうです。

現代では心の問題を抱えてる人が多いと感じ、大島さんが若い頃は今ほど多くはなかったと感じてるそうです。
ご先祖様に手を合わせ感謝することは本当に自分を支えることであり、自分のためにすることではないけれどまわりまわって自分の幸せになるものだと思っているので若い人たちにやはりそういう気持ちを知ってほしい、知る機会を作りたいと仰っていました。

寺子屋-円-

そんな浄光寺では少しでも檀家さん以外の方もお寺に足を運んでいただき、気持ちを安らいだりできる場所を提供できるよう「寺子屋ー円ー」を開き現在2年目です。30~50代の方の利用が多いそうですが、例えばヨガの教室を開いたり、太極拳をやったり、終活特別講座としてエンディングノートを書く機会を設けたりと寺子屋で様々な活動を行っています。

もちろん若い方も参加できます!興味がある方は下記のURLから確認してみてください♪

今回取材させていただいて私が一番に感じたことは、お坊さんって関わる機会もないしどんな人なのかもわからないし…というイメージが先行していましたが、大島さんは過去に一般企業にも勤めていたごく普通のお母さんだったという話を聞いてからはなんだかとてもお坊さんに対して親近感を持つことができました。

その寺の住職はご本尊さまがお選びになられる、という考え方も初めて知り興味深かったです。
お坊さんやお寺に限ったことではないですが普段関わることがないからといって自分たちとは別次元の人たちがと一括りにしてしまうのはとてももったいないことがだと感じました。それは私自身神奈川生まれ神奈川育ちでありながらこうして福島県に足を運んで福島県の人の温かさを知るきっかけがたまたまあったためそのもったいなさを感じることができていますが、それを知らない人は本当に多いと思います。

この記事を読んで少しでも会津若松に興味を持ったり新しいことにチャレンジしたいという気持ちになっていただけたら幸いです!

ご拝読ありがとうございました!また見てくださいね!

♦日蓮宗法紹山浄光寺の詳細♦

住所: 福島県 会津若松市宝町4-25
HP: https://jo-ko-ji.com/

大島英翠さん、ありがとうございました!
両サイドはあいづっぺでぃあ取材班です!


平澤遥