取材記事

次世代に繋がるモノ・コトづくりを発信するローカルハブとなる場【Human Hub 天寧寺倉庫 関 昌邦さん】

2022年11月7日にOPENした会津若松市天寧寺町の「Human Hub 天寧寺倉庫」。1階にはストア、カフェ、漆シェア工房、シェアキッチン、2階にはコワーキング/シェアオフィスがあります。

この建物は、関美工堂の旧本社・倉庫をリノベーションして誕生しました。

今回は、「関美工堂」代表取締役の関さんにお話を伺いました。

関美工堂の歴史や関さんについて

ーーー関美工堂の歴史を教えてください。

関美工堂では創業以来、楯やトロフィーを作っていて日本最高峰の音楽大賞の楯をここから出荷したりもしています。こういう楯はうちから生まれたもので、祖父が楯を作るまでは表彰で授与されるものはメダルかカップしかありませんでした。

祖父が戦後に立ち上げたのが栄町旧本社でした。祖父は東京で校章とかバッチとか、金属メダルなどを作れる技術会社にいました。その流れでこの表彰業界に、地元の産業でお世話になるようなものは作れないかということで、木を削り出した板に漆を塗り、蒔絵の技法で優勝の文字や鷲などを描いたりしていました。

一番初期の頃の楯は、価格が高すぎて上手くいきませんでした。後に、金属の王冠とかを乗せるようになり、値段が落ち、それがそのうち金属からプラスチックに代わり、、というふうに変化していきました。

昭和50年代のピークの頃には、福島県高額納税者番付に祖父の名前があり、その当時は従業員が100人くらいいましたが、事業としてはピーク以降はずっと右肩下がりでした。

元々会社の本社・倉庫だったこの場所のすぐ前には自宅があり、従業員が100人になっていくプロセスを見てきました。そこの駐車場では、度々芋煮会とか行われていて皆がすごく賑やかでした。

ーーー関さんが会津に戻られたキッカケは?

会津に帰ってくる前、私はJAXAに3年、その前はスカパーを立ち上げたりなど大学を卒業してからはずっと宇宙の仕事をしていました。この場所が大好きだったので、会社をV字回復させる思いで後を継ぐため戻って来ました。創業以来、うちは表彰記念品を中心に漆器も作ってきましたが、どちらの業界も昭和から平成に変わる頃が売上のピークで、そこからは右肩下がりが止まらない厳しい状況が続いています。そんな厳しい業況の中でのスタートでなかなか大変でした。

「漆とは何ぞや」を知り、新たな価値を生み出す

ーーーノダテについて教えてください。

ノダテはアウトドア向けの漆器ブランドです。アウトドアで使えるマグカップやお皿、弁当箱などの商品があります。私にできることは、業界から離れた素人目線で何かに気付き、今までの漆器市場にない何かを生み出すことでした。漆器は、雅で素敵で高級という印象はあるけれど、晴れの日にしか使わないものになっています。そこで「漆とはなんぞや」っていうことを突き詰め、まずは、ノダテのような外で遊ぶものを生み出すに至りました。

そもそも漆とはどういう特性があって、どういう素材なのか、どういう機能のあるものなのかなどを突き詰めてる人は、なかなかいないですね。噂では漆は菌に対して耐性があるという話をしてくれる人もいましたが、調べていくと、大腸菌もブドウ菌もサルモネラ菌も、漆の上では死滅するとか、最近だとコロナウイルスなんてもう丸24時間でほぼ漆の上では存在してないなど、そういう機能要素が漆にはあります。

日本では1万2600年前から漆が暮らしの中にあって、世界最古と言われる営みを紐解いていくと「漆とは何か」となったとき、アウトドアで使ってもいいかなと思います。高級品である必要はないです。

若手の漆職人を育てる環境

ーーー漆シェア工房とは、どんな場所ですか?

漆シェア工房では、スタートアップの若手漆職人にとって、ホップ・ステップ・ジャンプのステップになるような場所を提供しています。次から次へ同じ環境の若手がいるので、期間は3年に絞っています。3年の間に、自分で食べていける算段をできたら自立できると思います。あくまでスタートアップのためのインキュベーションの場所です。

コミュニティを大事にし、応援したい

ーーーどんな方を応援されていますか?

木地・塗り・蒔絵っていうのはそれぞれ分業制なんです。なので自分で木を切って、自分で塗って、自分で絵を描いてっていう人は基本いません。私が応援したいのは名もなき職人たち、その地域コミュニティのリンクでお互いに支え合いながら食べていくっていう場を作る人たちです。

「木地師・塗り師・蒔絵師」がいるとしたら私は売師(うるしw)です。4者4様の得意分野をみんなが協力し合ってチームになることで、一つのものが世の中に出ていくっていうのがコミュニティだと思っています。そのコミュニティを大事にしたいから、そういう人たちを応援してるんです。

地域の食文化をより活性化させるためのスタートアップの場所

ーーーシェアキッチンについて教えてください。

シェアキッチンでは、菓子製造業と惣菜製造業の営業許可を頂いています。普通1ヶ所に対して1人1営業許可しかもらえません。それを2つ例外として認めてもらいました。製造種別が切り替わるときの衛生管理を徹底し、時間軸で整理するということを交渉して認めてもらっています。弊社の衛生管理の下、利用者が材料を持ち込み、機械をまわして使用してここから出荷もできます。

その隣にカフェとして飲食店営業許可を頂いています。

人気の「PLAY TIME COFFEE & ROASTER」が提供するコーヒーメニューや、「Bico cafe」のカフェメニュー、こだわりのアイスクリーム、「nowhere」のパンなどを購入できます。共存共栄というか1人勝ちしたいわけではないし、関わる皆がハッピーでいられる状態を模索しています。

会津の衣食住のカルチャーを外に伝える

ーーー1階にはカフェの他にショップもあるんですね?

会津の伝統を感じられる漆製品があり、うちオリジナルでこの10年皆様に育てて頂いた「アウトドアでカジュアルに漆を使ってもらう」というコンセプトの漆器「ノダテ」や、会津木綿で作られた農作業で着る野良着(山袴、猿袴)やワンピースも販売しています。

1階は地域の衣食住のカルチャーとそういうコミュニティの暮らしの中で愛されてきた素材や道具を未来に繋ごうとしているものを、外の人たちにお伝えするような場所です。

日本最大級のプロジェクターがあるコワーキングスペース

ーーー2階はどんな場所になっていますか?

2階はコワーキングスペースです。短時間利用と長期利用、フリーアドレスデスクや専用デスクなど多様なニーズに対応できるスペースとなっています。ポスター出力が可能な大判プリンターや、日本最大級のプロジェクターも設置しています。先日は、他所とLiveで繋いだ舞踏練習イベントもありました。

コロナを経て煮詰まった方向性

ーーーこの場所に関する構想はいつ頃から考えられていましたか?

Human Hub 天寧寺倉庫の構想が煮詰まったのは、ここのゴミの片付けを始めてからですね。コロナになってからです。コロナになったことで、スポーツも音楽も芸術も、全ての大会という大会が中止になり、表彰記念品が9割減になったり戦々恐々、今でもまだ通常には戻りません。

倉庫の中は、最初1階から3階まで創業来のデッドストックの山で、妻の友人の「こんなの娘たちに残して死ねないよ」という言葉をキッカケに、車に40リッターのゴミ袋30個ぐらいを詰め込んで捨てたりしていました。何往復したかわからないぐらい捨てても捨てても減らなかったですね。

会津に帰ってきて、いろいろ調べていくプロセスの中で感じてきた地域の課題、会津塗業界が抱える問題、未来を見据えたときの不安など、色々な人たちと色々な話をしてきました。コミュニティでしてきた会話のプロセスの中で、アイデアの種がずっと自分の中で蓄積されていました。この建物とリンクさせて何か形にしようとしたときに、ここを活用ならショップとカフェは絶対だと思っていました。

いろんなアイデアが出てくる中で、6次化のためのシェアキッチン作ったらどうですか?っていう声もありました。そうやってどんどんやりたいことのプラスアルファーがどんどん煮詰まっていきました。

人と人の繋がりのハブになる場所を残す

ーーー関さんにとって、「Human Hub 天寧寺倉庫」とは?

もの作りというのは人によって生まれますし、デジタルだなんだと言っても結局は人が何を築き、何か感じ、手を動かすとか、頭を動かすとかいうことになります。キッカケになる場所が大事で、これからの未来に求められると思います。生きている間に次の世代に残せるバトンとしては、あなたのお父さんは何を残したのって言われたら、こういう場を残したと言える場所でありたいですね。

娘たちだけでなく、この地域に生きる皆さんからこの場があってよかったと思ってもらえると十分です。納税は社会貢献の基本ですが、違った形の貢献の仕方ってあると思うんですよね。

関さん、ありがとうございました。今後も地域内外の方々に、会津の伝統ある文化が伝えられるとともに、この場所で素敵なコミュニティが形成され繋がっていくことを願っています。

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Kaori
広島出身で、2021年12月から南相馬へ移住をしています。趣味は、旅することや写真を撮ることです。よろしくお願いいたします!