取材記事

磐梯町から心の癒しを届けたい【The Retreat Place】

今回は、The Retreat Place(以下、リトリートプレイス)オーナーの小川直樹さんにお話をお伺いしました。

直樹さんは、千葉県出身で、全く福島との縁がなかった中で、約2年前に磐梯町へ移住をしゲストハウスの運営をしています。

リトリートプレイスは、築40年のペンションをリノベーションをして作ったゲストハウス。周辺観光地、スキー場、登山、湖へのアクセスも抜群な場所にあるリトリートプレイスは、日常生活では感じることのできない、癒しの空間と時間を与えてくれる場所です。

実は、ライターを務める私、大川は、もともと、小川さんとはリトリートプレイス立ち上げ前に知り合っていましたが、直樹さんは、どんな想いで磐梯町に移住し、どんな場所を作りたいのか。

今回は、その真意に迫ります。

2度ヒッチハイクで日本一周。世界一周を経験した学生時代。


ーーー最初に直樹さんがどんな人なのかを教えてください。まず出身地はどこですか?

出身地は千葉県千葉市です。23歳ぐらいまで住んでたね。

ーーーそうなんですね!もともと、福島県とは縁があったんですか?

縁はあったと言えばあったんだけど、中学校の修学旅行で磐梯山に登ったぐらい。鶴ヶ城にも来たらしい。記憶にないんだけどね。

ーーーほとんどないって感じですね!(笑)
直樹さんは、大学時代に世界一周をされたと聞きました。

そうだね。大学二年生の時に初めて海外に出て、そこでハマって、一年休学していろんなところに行ったり帰ったりして。

ーーーもともと海外に興味があったんですか?

旅のきっかけは震災のボランティア。学校の先生のつながりで岩手県の宮古市という所に行って、そこでいろいろな食べ物を食べさせていただいたり、景色を見たりとか、そういうのを見たときに、自分の知っている世界ってすごい狭いなと思って、世界を広げたいなというのがきっかけで旅に出て、日本をヒッチハイクで一周して。

ーーーヒッチハイクで日本一周しているんですか!?

2回ヒッチハイクして、1回目は青学の前から、青森の弘前城まで行って往復して。2回目は、海老名サービスエリアから、屋久島まで行って帰ってきた。

ーーーすごいご経験されてるんですね!日本をヒッチハイクした後に、世界一周に行ったんですか?

そうだね。資金はインターンを2つやって、バイトも2つやって、めちゃめちゃ稼いで、休学は1年だけど、4年ぐらい休学しているような感じで学生生活送ってたね。(笑)

ーーー世界を回って価値観が変わったりしましたか?

そうだね、タイのスタバでは時給120円とかで働いている人がいる、でも日本では800円、900円、もちろん物価の差があるにしても。

日本は景気が悪いと言われているけど、そういう人たちに比べれば上位。世界的に比べれば。

だからその中で、日本人として、その場所に生まれた人として、出来ることは割と、いっぱいある。そういうのを伝えていかないと行けないなって。思ったかな。

ベンチャー企業に就職し、なぜ、磐梯町へ?

ーーーそんな小川さんは、なぜ新卒で人材系のベンチャー企業に就職したのですか?

まず大学を休学した理由が、就職というみんながリクルートスーツを着てエントリーシートを100枚出して、そういう数を競い合って。

俺、その話を聞いたときに、働くってなんだろうと思って、それが当たり前なのかな?って疑問を感じて、それで休学をした。

それで世界の働いている事情を見て、一回も働かないでそういうのを否定するのは違うなと思って就職したの。

就職先を決めた理由が、この会社だったら、すごく成長できるというか、この人達の中に入って、成長したいなという思いがあったから。


ーーー素敵ですね!社会人になってからどういう仕事をしていたんですか?

ずっと営業企画の仕事で、マーケターと営業の中間のような感じなの。

ーーーそれから磐梯町に移住されたと思うのですが、どのぐらいの期間働いたんですか?

正確には1年10ヶ月かな。

ーーーそうなんですね!実際の仕事はどうでしたか?

想像以上にいろいろ学べたし、今に活きるスキルはすごく身についたなと思う。ただ、その仕事って、俺しか本当に出来ないかって言ったら、ある程度、替えが利く仕事だった。

さっき言った通り、日本の事情を考えると、自分にしか出来ない事って、別分野であるなと思って、だったらそれをしないのはおかしいんじゃないのかなと思って。他に任せられるんだったら任せて、自分は自分にしか出来ないこと、したいことをやるべきだと考えて。

磐梯町に来たときは具体的に、ゲストハウスをやるって決まっていたわけではなくて、その精度をあげるということ。

自分のなかに出来ることは、全くゼロじゃないと思うんだけど、その中で何をするか、絞る期間みたいな感じで考えていた。

ーーー自分にしかできないこと。いいですね。でも、なんで磐梯町、このエリアにしようと思ったんですか?

スノーボードのインストラクターをやりたいと思っていたから、それでこのエリアに来た。でも、それは遊びだから、遊びをしながら、自分の中で考えてみたいという期間があったんだよね。

ーーー磐梯町に来て、今、どのぐらいですか?

もうすぐ2年。

ーーーでも、スノーボードのインストラクターは、長野とか山形とか、いろいろなところにある中で、なぜ福島だったんですか?

それはね、すごく単純な理由で、ランニングコストを抑えるために、リフト券が無料の所を。猪苗代スキー場が無料だったから。

ーーーリフト券が無料というのがあっても、それは仕事をしながらですか?

仕事を辞めてから来ました。

ーーーえ〜!仕事やめてきちゃったんですね(笑)
でも仕事はどうしようと思っていたんですか?


失業手当をもらえるのは知っていたから、しばらくは。最初は、インストラクターの資格を取ったら東京に帰ろうと思っていました。

磐梯町に移住したきっかけは?

ーーーじゃあこっちに移住しているわけではなかったんですか?

そう、移住しているわけではなかった。
事業を始めると決めるまで3ヶ月ぐらいは会津若松にいたかな。その間に、猪苗代のゲストハウスやLivingAnywhere Commons会津磐梯にいて、事業を始めると決めて、会津若松市に住んで、その間に磐梯町の物件を見つけて、ここに引っ越して改装して。

ーーー会津若松に3ヶ月住んでいる間にこのゲストハウスをやろうと決めたんですか?じゃあ全く、やるとも思っていなかったということですか?

そうだね、来た当初は。前職で働いているときも、他の会社からの誘いがあったから、正直、そんなに働く所には困らないなと思って。


ーーー今、起業をされているじゃないですか、起業はもともと考えていたんですか?

考えて無かったね。
目的と手段の話だと思っていて、起業するのは手段であって目的ではないから。


ーーー移住をしたきっかけは、決め手はあるんですか?

決め手は、観光はかなり大きいよね。このエリアはすごくいろんな資源があるのにそれが活用されていないのをすごく感じて。観光客としてしばらく住んでいたから。そこを変えないといけないと思ってる。


ーーー観光の資源と言っても、どこに魅力に感じたんですか?

四季が豊かであること。
海外を旅して、日本の桜とか、四季を表すイメージを持っている人たちが多くて、その四季を本当に味わえるところと考えたら、本当にこのエリアはそうだなと思って。


ーーー具体的に言うと、どういうところが活用できていないなというのはありますか?

そもそも俺が東京にいるときに、磐梯町の存在をそんなに知らなかった。だから、認知が低いし、実際に東京の友達に言っても、あんまり来たことがない。

あとは、震災のイメージだよね。マイナスのイメージ。こんなにいいところなのに。その幅がかなり広いなと思って。


ーーーそもそもいい場所だなって、直樹さんは感じたけど、それを知らない人たちも多いし、そうなってしまっているこの地域にもったいなさを感じたんですね。
でも移住に対して、すんなり踏み出せたんですか?実家から反対はなかったんですか?

それは基本的に事後報告だから。反対されようがないというか、すでに事は決まっているから。

ーーー事後報告(笑)自由でいいですね。

なぜ、The Retreat Placeにしたのか。


ーーーこの場所について聞かせていただきたいのですが、The Retreat Placeという名前にした理由はなんですか?


それは2つのもともとあった言葉の掛け合わせで、リトリートというのは、チルとかそういう言葉に類似した言葉を探していて、この単語がいいと思ったし、自分たちが提供している非日常とか、普通のありふれたことじゃないところを提供したいというので、リトリートというのを入れたいと思って。

それで表参道にthe 3rd Burgerというのがあって、3rdの意味が、家族、恋人、その次の場所、のような感じだったの、確か。サードプレイスとか、3番目の場所。

そういう場所という意味を掛け合わせて、ザ・サードのサードのところをリトリートにかえて、リトリートプレイスにしよう。

リトリートできる場所というところから来ました。


ーーー最初からゲストハウスというか、宿泊施設を作ろうと思ったんですか?


そうだね、どうせ住むんだったら広いところに住みたいと思っていて、そこでやるならゲストハウスがいいんじゃないかなという感じなって、そこから名前が決まって。


ーーーやり始めて、ずっと順調だったわけでは無いと思うんですけど。苦労したところはありますか?


3つあって、1つ目が何もわからないってこと。

全てが初めてのことだから、補助金ってなに?というところから始まったし、申請書ってどう書くの?事業計画書って?みたいに全部初めてのところがまず、大変すぎた。

2つ目は、お金かな。

事業計画を立てたときに、遅くとも1年で回収できる事業にしようと思っていたから、そういうときに前職の企画のスキルが意外と役に立ったけど、まあ、大変だったね。

3つ目は仲間だね。


必ず平等は無理だなっていうところと、事業と優しさは違うというか、切るところと切らないところをしっかりしないと続かないなって。


ーーー会社のことも聞きたかったんですけど、株式会社ペグという名前でやられていると思うんですけど、名前の由来はなんですか?


発案者は僕ではなくて、一緒にやっている五十嵐大輝さん(過去、あいづっぺでぃあで取材者)が考えたんですけど、地元に根ざすというか、しっかり杭を打ち込むという意味で、ペグっていいよねという感じになりました。


ペグでは、パブリックなことをしたいなと思っていて、宿をやるだけなら個人でもいいんだけど、影響範囲を広げていきたいというか。そこで同じ意思を持っている仲間達がいたから、個人で出来ないことを法人でやっていくという考えが出てきて、だから法人化しました。

今後の展望は?

ーーー直樹さんの今後挑戦したいことはありますか?

結構いろいろあるんだけど、DMCの組織は早めに作りたいなと思っています。

DMOというのは行政主体の観光マーケティングをする組織、ここは行政が3つあるから、とても意思調整に時間がかかるので、だったら民間で作ってしまって。だからカンパニーのC。

ーーー観光を主軸にですか?

そうだね、観光とか、あとは磐梯町が愛着人口の創出のようなことをしていて、それはすごく必要だなあと思ってる。

ーーー長期的に考えると、会津地方やこのエリアに住み続けることは考えていますか?

未定ではあるけれども、個人的なことを言うと、もっと価値観を広げたいから世界2周目はしたいなと思っていて、それに間に合わせるよう目標設定してるつもり。

だからそれまでに一旦、ここで、形にしたいなと思っています。

夏休みの宿題って、最後にやってしまう。仕事は限界まで増え続けるというパーキンソンの法則があるんだけど、それだと思っていて、期限を決めないと人間はいつまでもぐだぐだ行っちゃう。

だから5年ごとにやりたいこと100個のリストを作っているんだけど、その中で30歳までにやるって決めているから、そこはずらしたくない。そこまでは自分の思いの形を必ず実現するという、ある意味、負荷をかけている。こういう場で言うことによってね。


ーーー直樹さん、今、おいくつでしたっけ?

2月で27歳になるから、あと3年。


ーーーこれから数年が勝負ですね!!

そうだね。

最後に

ーーー直樹さんから見る会津の良さというか、魅力を教えていただけますか?

人はすごくいいなと思って。三泣きという言葉がよく合う人が多いなと思っています。

最初に来たときに、受け入れられなくて泣いて、受け入れられた後に、人が良くて泣いて、最後に別れが惜しくて泣くっていう会津の三泣き。


ーーー私の住む、浜通りもそうですけど、福島の人はいいよね、というところに落ち着くんですよね。
会津は、浜通りとは、文化とか地域性も違いますが、共通して、「人がいい」ですね。

ーーー今後の直樹さんというところで、この1年での意気込みを教えてください。

守破離の守かな。守り。ゲストハウスの基盤が安定しないと、その他のことにも手を出せないし、ただ、俺の中での守は、他の人にとっては、破とか離のような気もするけど。基盤を作るということかな。


ーーー最後に、The Retreat Placeにどんな人に来てほしいですか?


疲れが溜まっている人とか、自分の目的が見いだせない人とか、迷っている人かな。リトリートしに来てほしいです。


ーーーたくさんの方にリトリートしに来てもらいたいですね。本日は、ありがとうございました。

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大川翔
福島を変革する男、今日もOK!!代表大川翔 福島県郡山市出身。南相馬市在住。 あいづっぺでぃあでは、学生統括・ライターとして活動しています。