福島県喜多方市にある中学生対象の学習塾「かけはし」。

塾の経営を行っている石島来太さんに今回はお話を伺えることになりました。

本当の学びは教室の外に溢れていること。

学びはあらゆる世界を行き来する「かけはし」であることが名前の由来になっています。

テストの点数、高校進学のためだけではなく、一人一人にとって本当に必要な学びを一緒に考え、自ら意欲的に学ぶことのできる生徒を育てます。

学びのベースキャンプ「かけはし」では、様々な経験をして来た石島さんが生徒一人ひとりに合わせた勉強を教えています。

そんな石島さんのこれまでの活動をご自身に赤裸々に語っていただきました。

ーーー今日はよろしくお願いします。

石島さん:よろしくお願いします!!

経験豊富な学生時代

ーーー石島さんは、長野出身で福島大学に進学されていたのですよね?

石島さん:そうです。人間発達文化学部っていう学部で、平たく言うと教員養成のコースなんですよ。で、そこの、スポーツ専攻でやってました。専門種目はテニスが専門と、あとは中高で陸上部だったので・・

小学生の時に硬式テニスのスポーツ少年団に入って、すごくハマっちゃって。めっちゃ面白いなって。

中学ではテニス部って言っても軟式しかなかったんですよね。で、最初に実は一年生のあいだは部活入らなかったんですよ。

そこで、中1の終わりぐらいの時、ちょっと気づいちゃって。友達少ねえなって。

軟式テニスはなくて、ほかにテニスにつながるような部活何かなって探して、足速くなればテニスのプレイにもいい気がしたので、陸上部に入ったんすよね。

で、練習してたら、陸上で結果が出るようになって、東信大会が長野であるんですけど、そこで優勝しちゃって。

それで調子に乗って、高校に行ったら絶対、テニスをやるってしてたんですけど、テニスはやらずに陸上部にいって、高校3年間過ごしてしまった。

ーーー大学ではどういうことをしてたんですか?

石島さん:大学では、震災があるまでは、学祭の実行委員やったりとか、それぐらい。あとはまあ、大学ではテニスやってたんで、部活頑張ってとか、普通に過ごしてたんですね。

大学2年生の時、震災があって、自分自身も被災して、数日間、避難所にいて。

そのあと、長野に逃げ帰って、で、その時に、やっぱり福島の学生なので、それこそ原発のイメージがそれこそ当時すごい強かったんですよ。

今以上に強い。今は「震災どうだった?」みたいな話だと思うんですけど、当時は、「福島いても大丈夫?」普通に言われる。

「原発どうなってんの?」とか、「福島、もの食えんの?水飲めんの?」みたいな話を、ほんと普通にされる、で、なんだったら、これマジであったんですけど、俺が家帰って、服を脱いで、じゃあ、その服、どう洗おうか、ていう話になった。

もしかしたら放射能がついてるかも。俺をどう受け入れるかみたいなところから、家の家族の話し合いが始まってたんすよ。

ーーー僕、その時小6だったんですよ。ずっと福島県の郡山にいたんで。家族も当たり前のようにいるし、親戚とかもみんな東北の、福島にいたんで、そういうのはあんまり。

石島さん:長野の家族からすると、テレビで見ている原発の状況とか、イメージがあるじゃないすか。確かにこちらとしても大丈夫って言い切れない感じもあって、そんなこともあったんですよね。

周りからも当然のように心配されて、すごい嫌だなって思っていた時に、ちょうど、1こ上のイベント系のサークルやってる先輩がいて、その人が、同じようなことを思ってるんですよね。

全国の人達に福島来てもらって、実際はもっと元気でいいよってところを見てもらおうと思って、全国の学生を福島に呼ぶイベントをやり始めたんですよね。

JASPという団体で、ジャパン オール スチューデント プログラムっていう名前を。もちろん、俺とその人だけでなく、すごい数の人が関わってくれて。

だけどやっぱり、ただ来てくれって言っても来てくれないから、じゃあ、どうやってみんなに来てもらえるようにするかっていうことで、つながりを持ってもらったらいいじゃんと思って。

じゃあそのつながりって?って話をして、じゃあタスキリレーをして日本全国をつなぐっていう、聖火リレーみたいな感じ。

登録者が集まった各都道府県で、タスキリレーイベントをやって、福島県を出発して、まずイベントやって、そのタスキをもって、次の都道府県に行って、で、また次の都道府県。

それを行けるところまで。で実際、42、3都道府県行ったんですよ。

ーーーそれは大学何年生の時ですか?

石島さん:大学3年生の時。すごい数の人が関わってくれたんですよ。

本当に2万人ぐらい確か、登録頂けて。各都道府県を代表する学生団体がみんな協力してくれて。あん時もう、震災なんとかしなきゃっていうのが本当に盛り上がってて。その流れで。

スポンサーにも結構大きな企業についてもらったりしたんですよ。

大手住宅メーカーからNPO、そして今へ

ーーー就職は、東北地方じゃなかったんですか?

石島さん:ぜんぜん違うとこ。就職する時は、新卒で大手の住宅系メーカーに就職しました。一年半働いたんすよ。

別に俺、長野に帰りたかった訳じゃないんですけど、長野営業所の配属になって、家を売る営業を、飛び込み営業もしましたし。

ーーーなぜ住宅系メーカーに就職しようと思ったんですか?

震災もあって、就職活動をする時に、自分がやったことが誰かの幸せになることに繋がることをしたいと思って。

避難所にいた時に、短い期間だったんですけど、結構みんなストレスになっていて、俺よりずっと年上の人同士が口論になったりもして、人は安心できる場所が非常に大事なんだなということを思ったんですよ。

人を幸せにしたいっていうその幸せはどういうことかってなった時に、いろんな形があるにせよ、まずは自分が自分らしくいれる家っていうのがすごく大事なんだと思って。

ーーー今ここにいるまでの流れとしては、住宅系メーカーで働いて、その後、喜多方ですか?

石島さん:そうです。

ーーーじゃあ、一年半働いて、独立したんですね?

石島さん:いえ、独立ではないですね。一年半働いて、思ったのとは違ったので、辞めちゃって。その後は喜多方のNPOに入ったんですよ。

ーーーあ、NPOに入ったんですね!でも、なんで喜多方なんですか?

石島さん:福島ならどこでもよかったというのがぶっちゃけたところなんですけど。

ーーー長野にいたけど、どうして福島だったんですか?

石島さん:大学でイベントやってた時に、福島の人たちにお世話になって、今まで見えてなかったことがいっぱい見えてきて、福島が好きになっちゃって、福島にいたいなって、自分のホームどっちかというと福島だなって思って。

そんな感覚になったんですよね。

後輩が、リアルな被災地とかをみんなで見るスタディツアーの学生団体を立ち上げてたんですけど、喜多方に来るツアーがあって、県内何箇所かのうち、たまたま喜多方に参加できそうだということで、参加したんですよね。

その時に、そのNPOの人の話がちょっとあって、そのツテを辿って喜多方に来た。

かけはしの誕生

ーーーここ「かけはし」はいつ頃からだったんですか?

石島さん:「かけはし」は2019年の1月からです。

ーーーまだ1年、ちょうど1年ちょっとですね。そこまではこういう教育系の仕事はあんまりやっていなかったんですか?

石島さん:それまでだと、自然体験教室をやってたんですよ。喜多方スマイリングキャンプっていうキャンプです。

これはNPO事業で最初始まった事業で、NPOが潰れてしまう時に、ずっと参加してくれてる子達がいたので、持ち出させてくれって言って、持ち出して、個人事業でずっとやってきてた。

それをやっていく中で、その子達を成長させていくためにはもっと、継続的に会わないといけないっていうことで、継続的に会える場所として、塾っていう形態がいいかな、っていうのが最初のきっかけです。

ーーーもともとそういう教育みたいなものをやろうと思って始めたわけではなくて、継続的に繋がれたりとか、教えていったりするっていうことですよね。

喜多方スマイリングキャンプは中学生が対象なんですか?

石島さん:小中ですね。メインは小学生ですけど。続けていくうちに教育について考えるようになって、今は教育関係のことで、NPOも立ち上げて。そんな感じです。

ーーー僕もすごく教育に興味があって、中高生に対して、キャリア教育的なことをしたいなって、すごく思っています。僕はなんかこう、勉強が全てじゃないよっていうのを、すごく伝えたい。

石島さん:いろんな可能性をね、子どもたちに見せてあげたいってのはありますよね。

うちの塾だと、月に一回講演会をやっていて、年が明けてからは受験シーズンでちょっとお休みしてるんですけど、いろんな人に来てもらって、子どもたちに、「こんな人生あるんだな」みたいなところを見てもらって・・

ーーー僕も大学入って、経営塾みたいなビジネススクールに実は通ったりしていて。こういうのって、東京にあるけど、地方ってあんまりないし、そういうのでこう、差が生まれてるのかなって、感じたりとかもしていて・・

石島さん:それは間違いなくある。そういう教育格差っていうか、機会格差ってすごいおっきい問題だと思うんですよね。東京にいればそんなの調べれば分かるじゃないかっていうようなことでも、田舎は調べるきっけかすらないみたいな感じ。

全くその想像の範囲の外。想像の外にあることって、検索すら出来ないんですよ。あると思ってないから。そういうきっかけをいっぱい作っていけたらとはすごい思っています。

ーーー塾は、何人ぐらい通われてるんですか?

石島さん:実は塾、3人なんですよ。中1一人と中3二人なんです。

ーーーほかにやられてるのは、地域おこし協力隊でしたよね?

石島さん:そうです。協力隊の仕事。あとは自然体験。あとは個人でいろいろ仕事を請け負ってて、講演のお仕事だったりとか、ライティングの仕事だったりとか、そういうので。まあなので、まだまだという感じです。

塾事業が軌道に乗るのは、2年か、3年たってからかな。

うちの塾は、普通の進学塾に行けなかったような子たちにもぜひ来てくれと言っている塾なので。

進学塾は、ガンガン勉強させて、進学率上げて、その進学率上がったよ、っていうことをもって、さらに次の生徒を呼んでくるっていう、まあ、ある種、生徒が、宣伝材料なんですよね。

それを全否定するつもりはないんですけど、そうすると、成績上がらない子供っていうのは基本的に、もうぜんぜん見てもらえなくなっちゃうんですよ。

勉強が得意な子にもそうでない子にも、分け隔てることなく接していく。自分の塾のために子供の成績を上げるんじゃなくて、目の前の子供のために一生懸命にやって、それが結果として評判につながればいいなと思っています。

かけはしのこれから。

ーーーどういう思いでこの塾をやられているか教えていただけますか?2年とか、3年とかで、少しずつ大きくしていきたいっていう思いがあると思うんですけど。

石島さん:そうですね。塾そのものの、コンセプトとしては、学び続ける子供を育てるっていうコンセプト。

学校に所属する期間が終わっても、大人になっても学ぶことってすごい大事ですし、むしろ、大人になった後、学ぶために今、学んでるはずなんですよ。

そのベースを今作ってるだけのはずなのに、学校を出たら学びは終わりだと思ってる人が多くて。すごいもったいないですよね。だから、いろんな可能性を開いていくためには今の学びって大事なんだなって、感じられる場所にしたいと思ってるので。

多少人数が少なくても、やり続けていこうとは思っていて、ギリギリ赤は出てないし、あははは。

そういう意味で、いろいろな人の話を聞く機会を作って、大人になってからも楽しいことがいっぱいあるのかなっていうことを感じてもらえるようにやっていきたいって。

ーーー石島さんの中で一番、大事にしていることって、なんですか?いろんなことを経験されてきたと思うんですけど。その中で考えたこととか、失敗したこととか、成功したこととか、いろいろとあると思うんですけど、それを通じて、これだけは自分の中で大事にしてるみたいな言葉だったりとか、

石島さん:ほんと、そうですね、うーん、難しいですけど、すごいやっぱり思うのは、「自分で生きる」ってことですよ。

別に人のサポートを受けていたとしても構わないと思うんですよ。なんですけど、今、自分が生きているこの瞬間の、この自分ていうのは、自分自身の選択の先にあるっていう、結果を持って生きていければ、っていうのは、最近、すごい思うところですね。

生かされているとか、仕方なくやってるみたいな感じじゃなくて、今、俺は選んでここにいるんだって、胸を張って言えるようなことってすごい大事だなって、そういう人がもっとたくさん増えていけば、いろんな社会問題も解決していくと思う。

そのためには、遠回りかもしれないですけど、教育っていう方法が私は一番、いいと思っているというか、教育っていうものをベースに、いろんな活動をしたいというところですね。

学びの機会と環境を作るっていう、仕事のコンセプトで、いろいろと活動していきたいと思っているところです。

ずっとやっていくんじゃないかと言う気がします。どこまでやれるかわからないですけど。

ーーー自分で生きるという言葉はすごく大事な言葉な気がします。

今の自分がどうして生きれているのか。親や友達、先生、たくさんの関わりを持った人がいたからこそかなと思いますね。

石島さんは、自分で生きるということを生徒にも伝えていける環境をここ「かけはし」で作ろうとしているんですね。

たくさんの経験をして来た石島さんだからこそ、多様な個性を尊重するような教育をしているのだなと感じました。

学校教育では学ぶことのできない。

本当に必要な”学び”を教えてくれる

学びのベースキャンプ「かけはし」の今後に注目です!!

住所:〒966-0817 

福島県 喜多方市三丁目4809 喜っせ様 2階

電話:090-4158-4558(担当:石島)

メール:kakehashikitakata@gmail.com

HP:https://kakehashi-kitakata.com


大川翔

大川翔

1998年10月25日生。福島県郡山市出身。
中央大学経済学部に通う大学4年生。
あいづっぺでぃあでは、学生統括・ライターとして活動しています。普段は、NPO法人きたまるの運営や株式会社ビックメイツの広報戦略室長として活動しています。