【弥七農園】自然とたどり着いた故郷での農業

今回は、弥七農園の木村さんにお話を聞いてきました。木村さんは、農家としてのお仕事や野菜講座なども行っています。とてもユーモアに溢れていて、和やかな雰囲気で取材が出来ました。

会津若松がご出身の木村さんは、長年東京にいて、Uターンをした1人。そんな木村さんになぜ、Uターンをしたのか。農業はなぜ始めたのか。そんな木村さんの今を深ぼる質問をしてきたので、ぜひ最後まで見てください!

東京での生活を辞めて、農業を始める。

ーーー36歳の時に会津に戻ってきて、大変だなとか、苦労はありましたか?

高校までは学校と家との往復だから、自分の学区内だけで済んでしまうから、36歳で帰ってきて、「どこどこの町」と言われても、土地の名前が分かりませんでした。

それが苦労じゃないけど、自分の中で不思議な、私はよそ者なんだなというのがちょっとありました。地元のことを知らなかったなと。

だから最初の1年ぐらいは、帰ってきたけど、自分の中で、ちょっとよそよそしさがありました。最初は農業をすぐにやったわけじゃなくて、アルバイトをしていたので、馴染むまで少しかかりました。

ーーー農業も初心者というか。

そうですね。最初は親の言う通りにやるって感じでしたね。でもやっていくうちにだんだんと慣れてきましたね。

ーーーでもそもそもなぜ、東京生活を辞めて、農業をやるために戻ろうと思ったんですか?

磐梯山を見たくなったんですよね。(笑)

ーーーえ?いきなりですか?(笑)

そう(笑)ふとした時にそう思って、戻ろうと決めて、何年か東京で働いて、戻ったんです。

木村さんにとっての農業の魅力は?

ーーー木村さんにとって、農業の魅力はどういう所ですか?

農業の魅力は、自分がやった分だけのものがそこに、帰って来るというか、自分が種をまいて、家族と一緒に育てて、それを販売したときに、最終結果がどうなるかというところで、すごくそれがいいですね。

以前、洋服を販売していたときは、自分のところの洋服だけれども、なんとなく、適当に売ればいいや、というような感じがあるけど、今は、自分で作った野菜だから、責任を持って販売できるというところが一番です。

ーーー自分自身がやった分だけ育つし、自分が作ったものだから思い入れもありますよね。

対面販売している時、お客様との会話で野菜を好きになってもらって買っていただくとか、それはもう、やりがいがありますね。

ーーー僕の父は郡山市で会社をやっているんですけど、福島県産品の販路拡大事業ということで、首都圏に郡山市や須賀川市を中心の野菜と果物と、加工品を販売する仕事を震災後からずっと続けているんですけど、野菜は震災の影響で、会津の人たちも風評被害で大変だったと聞いたことがありますが、震災のことはどうですか?

震災の4月、2011年4月に東京販売の話が来ました。農政課からお声がけを頂いて、行きました。

案の定、「放射能まみれだ」とか、お客さん、結構、言ってきましたよ。「放射線野菜売ってる」とか言われました。やっぱり悲しくなりました。

でも、それ以上に応援してくださる、「私はもともと福島県が地元だから買うわ」とか。そういう声があると嬉しいですね。

ーーー会津でも、福島というひとくくりにされますもんね。

そうですね。でも、4月によく行ったなと思いますけど。東京の日暮里の駅前でやることになって、それからずっと毎月、日暮里に行くようにして。

ーーー今もですか?

今はコロナがあって。日暮里マルシェという形でずっと10年間やっていたんですけど、コロナで事務局が解体してしまったので、もう行ってないですが、、、

ーーー2011年の4月から10年続けられて、お客様の変化はどう感じられましたか?

風評被害もあったけど、応援してくださる方の方がおおかったので販売に行ってました。次第に来て下さるお客様が、日暮里マルシェが好き、会津の野菜が好き、私の野菜が好き!って言って買ってもらえるようになっていったので、もう、最後は人と人とのつながりでしか物は動かないなというのを感じました。

購入してくださるお客様も前回のマルシェに来てくださったお客様が、また来てくださってとか。「あなたが作っているなら」って、生産者が見えるから買うというお客様も多かったなと思います。

それでつながったお客様が、トマトだけ毎月、ご注文頂いて送るとか、そういうこともしています。今は行っていないけれども。

ーーーコロナで打撃はありましたか?

学校給食をやっていたので、兄がキュウリとかほうれん草とかを出していたんですけど、学校が止まってしまったときに、ぐっと減ってどうしようと。

でも私たちはスーパーにも出していて、そっちでコロナ需要が多かったので、打撃を受けたというのはあまり感じていないです。

神明通りでやっている対面販売も、毎週木曜日にやっているんですけど、お客様たちが、「外だからいいべ」って。

ーーー野菜ソムリエの資格も持っているそうですね?

野菜ソムリエは、名刺を作ろうと思ったときに、POPの講座を受けたときに、先生から、名刺は持っておいた方がいいと言われて、そのときに、名前だけではつまらないなと思って、仕事に合っている肩書きがあったらいいのかなと思って資格をとったのがキッカケです。

野菜のことをもっと勉強できたらいいなと思ったんです。

この野菜ソムリエは、誰でも取れるような資格なので、取ってから自分で勉強するかどうかだったなと、今、野菜講座をさせて頂いて、そこですごく今、活かされているのかなと思っています。

野菜ソムリエは、ロンドンブーツの田村淳さんも持っているし、芸能人で持っている人もいて難しくない資格です。

若いうちは、東京に出た方がいい。

ーーー僕は、普段、高校生、大学生にもっと福島県を知ってほしいなということで活動をしているのですが、若い人に、会津のことや、農業の魅力を伝えるとしたら、なにかありますか?

若い人に伝えたいことは、ないな。
強いて言えば、一回東京に出て、それで自分のふるさとを遠くから見てみたらいいよと思う。自分がそうだったので。そしたら、多分、いいところを自分で気がついてくれるんじゃないかなと思ってはいます。

ーーー外から見ての福島、地元はどう見えていましたか?

東京にいると、せわしかったから、情報量が多すぎて、広告も多いから、自分らしく生きるのが辛いなと思って。高校の時は自分らしく生きていたよなとか、ちっちゃいときって、自分が自分がで生きていたから、楽しかったなとか。

東京は最初は楽しいし、いいけど、だんだんと疲れてきて、もっと自分が生き生きと、のびのびと、みたいなのを求めて、戻っていきたいと外からいったん見てみると思うのかな。

そう思っているので、いったん離れるのは、すごくオススメです。

若者が遊べる場所がない、今の会津。

写真68枚)会津若松市中心街 明神通りと花小路の紹介

ーーー若者に聞いてみたいこととか、ありますか?僕は高校生、大学生と関わる中で、僕らの価値ってなんだろうとふと思うのですが。。。

私は高校生の時に、部活動が演劇部だったので、その仲間と、お笑いみたいなことをやってるのがすごく楽しかったんですけど、外に遊びに行く場所がなかったんですよ。

今の若者を見て、「田舎で遊ぶところがなくていいの?」って思うんですよ。

私、神明通りが生きる道はあそこは絶対にプレイランドしかないと思っているんですよ。ゲームセンターでもいいし、食べ物屋さんとか、アミューズメントがいっぱい並んでいくとかできないなと思ってます。

ーーーあとはカフェとか、おしゃれなカフェが学生の求めることなのであるといいですよね。

そうですね〜。若い人たちは、車がなくてもいいわけじゃないですか。そうすると町中はそういうので活性化していかないと。
車を持っていない世代をターゲットに。おばあちゃんたちでもいいし、そこをターゲットにしていかないととは、すごく思っています。

最後に

ーーー今後、この地域や農業について、こうしていきないなとか、考えていることはありますか?

この地域をなんとかしようというのは全くなくて、そんなにもう若くないから、担い手になることも、全く考えていないんですけど、実は、いつも行っている会津若松市の神明通りが活性化していないから、そこをなんとかお手伝い出来たらなという思いだけはあります。

ーーー会津をどうにかしたいというのはないけど、神明通りはなんとかしたいと思ったのはなぜですか?

自分が毎週行っていて、誰も通っていないとやっぱり悲しくなっちゃうので、昔はここが賑わっていたのになと思うと、今は空き店舗も多いし、せっかく町の中なのにって、思いますね。

町の中心部から離れた、この辺りにはお店もできてきて、やたらと賑わってきているので。

ーーーこの辺りはなにか出来てきているんですか?

はい。ドン・キホーテが出来たし、カインズがこっちに来たし、スタバもできちゃったし。この辺の田畑は、あと20年もしたら多分、潰れてるだろうなと思います。

田畑は簡単に潰せるから。

ーーーそれはなぜですか?

だって、道を作るにも、なにかを建てるにも、ここに住宅があったら、移動してくれってお金がかかるけど、田圃だと、土地だけ貸して、上に建物を建てるからって、簡単ですよね。

ーーー町の中心部から離れた、この辺が栄えている理由はなんだと思いますか?

道路が、会津若松市街地西部を通過する西バイパスが通ったのと、新しくできたカインズのある場所は工場の跡地です。更地が広く再利用計画でいろいろと出店してきているみたいです。

ーーー神明通りは駅の前ですか?

いや、駅から15分ぐらい歩いた市街地の真ん中で市役所も近くにある商店街です。地元密着型の商店街です。なぜか塾が増えています。

神明通りは思い入れもあるし、そこがだんだん、廃れていくのが寂しい。元気になって欲しいなと思います。

弥七農園

フェイスブック
https://www.facebook.com/yasiti7farm/

大川翔

1998年10月25日生。福島県郡山市出身。
中央大学経済学部に通う大学4年生。
あいづっぺでぃあでは、学生統括・ライターとして活動しています。普段は、NPO法人きたまるの運営や株式会社ビックメイツの広報戦略室長として活動しています。