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磐梯町への移住は、運命の引き寄せだった【渡部久美子さん】

今回ご紹介するのは、4月に東京都から磐梯町にご家族で移住し、念願だった田舎暮らしを満喫されている渡部久美子さんです。

渡部さんは3人のお子さんを育てながら、3つのお仕事をこなすワーキングママさん。なかでも、磐梯町で新たに導入された“地域プロジェクトマネージャー”のお仕事では、デジタルにおけるプロフェッショナル人材として手腕を発揮されています。

今回はそんな渡部さんに、移住に至る経緯や移住してみての感想、そして現在のお仕事や将来の人生プランに至るまで、お話ししていただきました。

私の求める環境が、すべて磐梯町に揃っていた

2月末に磐梯町から地域プロジェクトマネージャーの就任依頼を受け、移住を決意した渡部さん。そこから約1ヶ月で準備を済ませ、4月から磐梯町での生活をスタートさせた。

ーーーもともとお住まいだった東京から、磐梯町に移住を決めた理由を教えてください。

移住を決めたのは、3つの理由からです。1つ目は「子供の教育のために、地方に行きたいな」と思い始めていたこと。私には3人の子どもがいるのですが、特に小学3年生の長男は協調性に欠けているといえば欠けているけど、興味・関心を持ったことにはものすごい情熱を持って取り組む子なんです。

そんな彼に合った教育が受けられる環境を探していたのと、私と旦那が田舎出身だから、子供も田舎で教育してもらえたらいいなと考えていたのもあって、ずっと「いずれは地方に行きたい」という思いがありました。

そして2つ目が、磐梯町出身の友人がいたこと。彼が地元の魅力を毎日のように教えてくれて、本当に町が好きだということがわかって。純粋に、磐梯町に興味が湧いたんです。それで昨年、家族とその友人とで磐梯町を訪れ、数日間過ごしてみたら「彼がそこまで言う理由もわかるな」って。すごくいいところだなって思ったんですよね。

そして3つ目が、その友人の紹介で町長さんを紹介していただき、自分たちの子や孫たちが暮らし続けたい魅力あるまちづくりを実現することを目的とした、“デジタル変革戦略室”という新しい組織を作った話を伺ったことです。令和3年4月1日から始まる、デジタル変革戦略室の地域プロジェクトマネージャーの職を磐梯町が公募していると知って「これは手を挙げなければ」と思いました。そしたら、ありがたいことに選んでいただいて、ようやく移住する決断ができました。いろいろなきっかけがあったのもそうだし、私の求める環境とも合致するのが磐梯町だったんです。

現在の自宅は、どこからでも磐梯山が見渡せる場所にある。この環境がとても気に入っているそう。

ーーー運を引き寄せる力が素晴らしいですね。では、磐梯町の気に入っているところは?

やっぱり、窓から外を見ると自然が見えるのは幸せだなって思います。鳥の鳴き声が聞こえたり、川が目の前に流れているのを見たり、リモート会議中であっても目線を外したら磐梯山が見えたり。やっぱりそこですね。それに、何よりも人があったかいなと思います。皆さん本当にいい人たちばかり。時には子どもをちゃんと叱ってもくれるんです。

私は父が転勤族だったので、引っ越しを何回も経験したし、クラスに11人しかいない田舎の学校に通ったこともある。そういう経験をしてきたから、地域の人との距離が近い環境で子育てしたかったんですよね。

たとえば、すれ違う人と挨拶するのが当たり前だったり、子どもを他人に叱ってもらえたりするような環境を求めていたんです。家族以外の人に叱ってもらう教育を私も受けてきたから、そういったコミュニティの重要性もわかっていて。だから、私が願っていた教育が磐梯町で叶ったのが本当に嬉しいです。あれよあれよという間にノリとテンションで移住しちゃったけど、すごくラッキーだなと思います。

チャレンジングな仕事で、地域に貢献していく

令和3年4月1日からスタートした、地域プロジェクトマネージャーの委嘱状交付式での1枚。ここでは、リモートワーク日と出社日を柔軟に調整しながら仕事をしている。

ーーーところで、渡部さんは現在どういったお仕事をされているのですか?

現在は大きく分けて3つの仕事をしています。1つ目は磐梯町役場のデジタル変革戦略室での、地域プロジェクトマネージャーのお仕事。このお仕事は総務省が令和3年4月1日に作った制度で、DX(※)を推進していくことが求められます。

(※)DX =「IT技術を浸透させることで、生活をよりよく変革させる」という概念のこと。デジタルトランスフォーメーションの略。

具体的には、役場の職員のデジタルリテラシー向上と、町全体のデジタル化の促進。そして町の政策に関わっている行政や民間企業と、町との橋渡し役になることが私のミッションです。

そして2つ目は、株式会社YUKARIという会社の代表取締役をしています。この会社は食産業支援事業がメインで、“食育を通して地方創生を作り上げる会社”という事業体にすべく動いています。

私の会社では食育を「食を通して人を育てていくこと」と定義し、誰かと一緒に食事をすることで人間性や対人スキルが育まれると考えています。そういった食育を通して、地方創生にも貢献していこうと思っているのが株式会社YUKARIです。

そして3つ目が、株式会社Public dots & Companyという会社の自治体DX事業部で行なっている、パートナーマネージャーのお仕事。この会社は、磐梯町役場でも行なっているDXを自治体向けに提案する民間企業で、自治体に「DX を推進していきませんか?」と提案するのが私の役割です。

ーーー3つのお仕事をされているんですね。なかでもスタートしたばかりで、移住のきっかけにもなった磐梯町のお仕事の手応えはいかがですか?

すごく面白いです。町長のDXに対する考え方をリスペクトしているし、室長も尊敬できる方で。私は昔から上司に恵まれてここまで来ましたが、今回もまた恵まれたなと思っています。もちろん仕事内容も楽しいですが、町長や室長をはじめ、役場職員のみなさんと一緒に働いているのが何より楽しいです。

あと、先日初めて町内の方とプレゼンを通じてお話しする機会があり、本当に勉強になりました。私が以前 SoftBank で働いていた頃は、経営層にプレゼンテーションをすることがほとんど。だから当時はロジックを念入りに組み立てて、難しいカタカナ用語を使いながら、いかに短く数字とインパクトを伝えて予算を取るかが重要だったんです。

でも、町の皆さんにプレゼンをするときは、そうはいきません。より分かりやすい言葉で、横文字は使わず、ごまかさずに真実を伝えるっていう、今までとは違ったプレゼンの仕方が求められる。その経験が初めてだったので、ゼロから教えてもらっている感じがすごく楽しいですね。

「人生100年計画」で叶えたいこと

生まれ故郷は愛媛県今治市だが、転勤族だった関係で住んだことはない。だから、いずれは磐梯町を第2の故郷にしつつ、今治にも住んでみたいそう。

ーーーでは最後に、今後の人生プランについて考えていることがあればお聞きしたいです。

私、これからの人生プランを紙に書いていて、今いる段階を「3rdステージ」って名付けているんです。1stステージは新入社員1年目から34歳で会社を辞めるまで、仕事1本で頑張ったステージ。2ndステージは個人事業主から代表取締役になって、業を起こしていくためのステージでした。

それで、38歳になった今から16年間が3rdステージ。あと16年ほど経つと、末っ子が高校卒業になります。だから55歳までは子育て中心に切り替えて、子供たちにとことん向き合って、時にはぶつかり合いながら愛情を注いでいくステージなんです。

そのあと70歳までの4thステージでは、旦那と“キャンピングカー日本一周旅行”をしたいです。夫婦で住むところにとらわれず、仕事もリモートで受けながら、日本の良さを知る旅をする生き方がしたい。そのときは、子どもたちには家を出てもらって、社会で揉まれていくのを見守ることが親の務めだと思っています。

そして85歳までの5thステージは、今までの経験を生かして若者を育てていく方向にシフトできたらいいな。最後は100歳までが6thステージ。ここまできたら、旦那と一緒に人生に感謝しながら、好きなことをして生きたい。こんな人生が歩めるように逆算して、いまの仕事を選んだ部分もあるんです。だから3rdステージの16年間は、とにかく子供たちとの生活を中心に楽しみたいなと思っています。

ーーー渡部さん、ありがとうございました。

<渡部久美子さん>
・Facebook:https://www.facebook.com/kumiko.watanabe1121/
・note:https://note.com/sky1121

<磐梯町ホームページ>
https://www.town.bandai.fukushima.jp/

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mayu watanabe
愛犬と音楽をこよなく愛するフリーライター。 はじめて就職した会社でセールスライター経験を積んだのち、2018年に独立。ウィンタースポーツ・ローカル・旅行関連など幅広いジャンルの執筆を行なう。趣味はゴルフと1人カラオケ。